探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点 | 06:33 |
よくある手品に、そこには何もないはずなのに、一度、マジシャンの意志が働くと世に出てくるものがある。カウントダウンしたり、目眩ましの火が出たりした後、ハトや花やお姉さんが出てくるやつ。見ている側には、摩訶不思議と思うより、仕掛けがあると思っている。出てくるものはどこかに隠れているわけで、大概は狭くて窮屈で人目の触れないところに隠れている。でも、突き止められない。そして、考えることを止め、その技とそれを習得した時間を想像し拍手を送る。
「探偵はBARはいる2 ススキノ大交差点」を観てきた。
今回は「表に出る」というお話だった。世に出るというのは、華麗なマジックとは違い何かしら摩擦を生む。子供が母体から出てくる時のように、世に出るというのは痛みが伴う。ススキノという歓楽街、まるで「家庭」とは無縁のような場所でも、明るみ出そうとするものと闇に葬りさろうとするもののが、ぶつかり合う。殴ったり、刺したり、銃も出てくる。ついでに麻美ゆま(Wikipedia)のおっぱいも出る。暴力とおっぱいは地上波のテレビ放送では、ある程度カットされるんじゃないかな。
ゴリ演じる「オカマ」のマジシャンが、手品の技術を徐々に習得する度に周りに人が溢れ称賛される。一方、主人公の探偵が「友人の死」よりも麻美ゆまとの快楽に身を委ねた後には、ススキノに戻っても人々は冷たい。この繰り返しがどんどん大きくなっていく。今ある境遇を嘆き何かに溺れていく者には冷たく、信念を持ち突き進む者には暖かい。
だからといって、お国のために汗をかくことよりも、タバコを吸い、酒を飲むことを魅力的に描いている。単なる中毒なんだけど、嘘のない行動にも見える。現実逃避やストレスの発散じゃなく、嗜好品として出てくるからかな。あとは大人の証かな。いや、家庭にいることが出来ない証か?とにかく、酒が犯人を浮かばせ、酒が犯人を葬る。犯人の名と実態とかね。ねぇ。
それにしてもタイミングというのはむずかしい。この映画にも、ヴァイオリンの演奏、バットで殴る男、エレベーター、路面電車、飛び移るアクションなど、時間の流れの中で求められる行為が多々出てくる。だが、タイミングが悪い時もある。その時にどうなるかと。
ま、続編である今回は、大泉洋一座がまたやってきたという感じで、かなり娯楽作品になっている。探偵とその相棒だけでなく、松重豊や安藤玉恵なども出てくると「よ!待ってました」と心の中で叫んでいた。安藤玉恵がチラチラと動いているのは大好きだわ。もちろん、洋さんのサービスもたっぷりある。「じゃあじゃあ、大先生、お着替え方、おひとつ」とヒゲ生やしたおっさんの声が想像してしまう場面もある。もう、ずっと観てたい。10作ぐらいやってくれないかな。
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