岡村が踊る 「めちゃイケ オカザイル復活スペシャル」 |
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1/7に放送された「めちゃ×2イケてる!岡村奇跡のダイエットもうデブザイルなんて言わないでスペシャル」(公式・Wikipedia)を見た。今回の放送を見て気付いたのは、番組の出演者である岡村隆史が緊張している場面がなかったことだ。
そもそも、今回は少し違うけど、一連の「岡村オファーがきましたシリーズ」(Wikipedia)の始まりは、「新春かくし芸大会」(Wikipedia)にある。芸能人が普段と違う演目を真剣に行う姿を楽しむ正月番組だ。ただ、「ものまね王座決定戦」で優勝した者が泣くようになったあたりから、練習風景など裏側を見せ、「泣き」の演出を入れるようになった。
正直に書くと、そんなにかくし芸を真剣に見たことがない。子供の頃は、再放送をチラチラと見るだけだったし、大きくなってからも、「泣く山瀬まみ」とか「年1の堺正章」などネタな部分は番宣や舞台裏番組などで見て、なんとなく知っていたが、自分からチャンネルを合わせることはない番組だった。
とにかく、年を重ねるごとに「かくし芸」の意味がボヤけていった。本業の芸が何かわからない「オールスター」なタレントが出演するようになった。それに、古今東西の大道芸を付け焼刃に覚えることが「かくし芸」になるのか疑問だった。また、「紅白歌合戦」にもいえるが、チーム分けと勝負の意味がさっぱりわからなかった。
そんな疑問を「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」(Wikipedia)では、「本人がやりたいこと」として、周りを巻き込みつつ、顔合わせから、毎週毎週追っていった。そして、社交ダンスなら実際の審査員による検定を受け、付け焼刃では到達できないところまで見せた。また、「モテたい」という不順な動機で、内村光良と勝俣州和が、ピアノを練習し、松任谷由実のコンサートに行き、お金を払っている観客がいる前で「春よ来い」を演奏するなどの企画があった。本番があったので貼っておきますか。
譜面も読めず、指も固く思うように動かないところからスタートし、ついに本番。毎週、練習している様子を見ていた会場の観客は声援を送り、教えていた先生や仲間は涙を流す。そう、これはまさに「ピアノの発表会」だ。
この「ウリナリ」での印象的な場面は、「えづく」ことだ。極度の緊張から来る吐き気だ。テレビの中の世界ではないところでの本番に、生理的に反応している。汗や涙よりも生々しい反応を見せることにより、お茶の間にも緊張を与え、真剣さを伝えていた。
そして「岡村オファーシリーズ」になる。ここでの岡村隆史は仕事を依頼されギャラをいたただく立場、つまり「プロ」として挑む。つまり、プロである以上、周りを楽しませることに集中する。自分に感情移入をあまりさせない。視聴者は、モニターを見ている矢部浩之に感情を合わせる。そのために、本当の裏側である本番前の緊張は見せない。視聴者を楽しませるためにも、泣かせないためにも見せない。矢部も泣かない。
そして、暴走する。本人が依頼された以上にオファー側の核の演目に乱入する。岡村隆史が「やりたい」こととして。そして、壊すのではなく共に踊る。これが、茶番とコントと演舞の間を流れるように巡っていく。身振り手振りで教わるダンスを身につけ、大筋の上を即興で体を動かしていく。
「めちゃイケ」は、テレビ好きの人達が作っている番組だ。言い切ってやる、テレビが好きな人達が作っている番組だ。好きじゃない人がいたら頼むから去ってくれ。とにかく、その好きな思いが、岡村隆史の歴代のギャクの完コピな動きに出ている。特に、好きなのはこのような踊りが中心の特番に土8戦争を戦っていた志村けんのアイーンとビートたけしのコマネチを踊りに入れるところだ。両方できるのは岡村隆史しかいない。
体というのは、放っておくと肉がつき鈍くなっていく。また、自分の意志じゃないところで、寒さに震え、大地の揺れに体をこわばらせる。そんな今だからこそ、再び、自分の意志で体を動かす岡村隆史を、僕らは見てしまう。ダイエット企画だと安直にまとめることも出来る。だが、岡村隆史が頭がパカーンとなり、ベットで横になり動かなかったところから、復活し、贅肉を削ぎ落とし、踊りだす姿を見ると、こちらも体を動かしたくなる。
こちらに緊張を与えず、自分の意志で動くように仕向ける。「テレビは洗脳装置だ」と言う人もいるけど、やっぱり、見る人に影響を与えてこそテレビ番組だと思う。それは、人が「伝える」という行為の願いでもあるでしょ。誰も影響されないなら、壁に向かってひとりごとを吐くようなものだし。
岡村が踊る 「めちゃイケ オカザイル復活スペシャル」